Sayonara VoyagE

Use me like an oar and get yourself to shore

最近の投稿このサイトについて

ぼっち・ざ・ろっく!

北極大陸

北極にペンギンはいない。

2023年1月15日

 北極にペンギンはいない。
 後藤ひとりにもそのぐらいの知識はあった。
 だから自分はペンギンではないと確信を持っていた。
 自分の足音がいやに「キュ」だと「ギュ」だのという音を立て始めてても。
 そもそも靴、履いてないし。
 北極にペンギンはいない。
 だから、北極にいる自分はペンギンではない。
 完璧な理論だった。
 自分の大きなくちばしを除けば。
 北極に吹く風は冷たい。
 北極にペンギンはいない。

 北極にたどり着いたのではなく、行き着いてしまったのが正しい。
 どの大陸も彼女には合わなかった。
 南極に行った時はたしかに人間だったはずだが、どんな姿をしていたのか思い出せない。
 孤独が自分で、自分が孤独で、姿はわからなくなった。
 画面越しに見れば可愛いなと思う姿も、鏡がなければ見ることはできない。
 水面を覗き込みたかったけれど、落ちたら死にそうなのでやめた。
 ペンギンって泳げるっけ。飛べないだけ?
 冷たさにやられた彼女の脳はすべてを躊躇している。
 北極にペンギンはいない。
 南極大陸を横断した時には見たはずだが、なぜか記憶がない。
 陸地があるのが悪いと、そう思った記憶しかない。
 北極には陸地がない。だからうまくやっていける気がした。
 もしかしたら、同じように陸地がだめな誰かがいて、そこで共感してもらえるかもしれない。
 温かいコーヒーを分けてもらえるかもしれない。
 そう思ったが、北極には誰もいなかった。
 そして自分はペンギンになった。
 後藤ひとりは泣きたくなった。

 北極を歩きながら、生き延びる道を探す。
 北極にペンギンはいない。
 ホッキョクグマは遠くから見た。
 明らかになにかを食べていたので、怖くなって逃げた。
 おそらくペンギンは餌の立場だろう。
 常に後藤ひとりは食われる側の立場である。
 ギターヒーローのチャンネルの動画を更新していないことに気がつく。
 今の姿で動画を投稿すればバズるんじゃないか?
 そのためには日本に帰らなければいけない。
 どれぐらいの距離泳げばいいのか、後藤ひとりには想像がつかない。
 家から高校よりは近いかな、と後藤ひとりは考える。
 北極にペンギンはいない。
 そう考えると、ここから配信したほうがウケがいいかもしれない。
 スマートフォンぐらい持ってくればよかったが、きっとペンギンになる間に落としてしまった。
 そのへんに落ちてないかと思ったけど、ピック以外何も見つけられなかった。
 ピックを拾うことはできなかったので、そのままにしておいた。

 とりあえず家に帰ろうとした。
 どちらが北かわからない。
 二度ほど迷って、食われかけた。
 後藤ひとりは疲れ果てた。
 どこにも辿り着けそうにない。
 バランスを崩して転ぶ。
 氷の冷たさが全身に伝わる。
 どこからともなく悪意のこもった声が聞こえる。
 北極にペンギンはいない。
 北極にペンギンはいない。
 北極にペンギンはいない。
 北極にペンギンはいない。
「いるよ!」
「ここにいるよ!」
 そう叫んでみたつもりだったが、後藤ひとりはそもそも叫び方を知らなかった。
 後藤ひとりが人生で叫んだことはなかった。
 それに、ペンギンになってしまった今、喉からは「グォー」とか「キュー」といった音しかしなかった。
 もし周りに他のペンギンがいたら、いるよ、と共鳴してくれたのだろうかと彼女は思う。
 周りに他のペンギンがいたら、彼女は叫べなかっただろうけれど。
 彼女は涙をためながら、ここにギターがあればいいのに、と思った。
 あと、アンプとスピーカーと電源。今までで一番いいフレーズが弾けたかもしれない。
 ペンギンも悲しくなると泣くらしい、と後藤ひとりは初めて知った。
 しかし、ギターがあっても、弾くことは叶わない。
 なぜならペンギンには手がないから。
 足は四本あるので、足で弾けるようになっておけばよかったのかもしれない。
(今の私って存在意義なくない?)
 冷たい風にさらされながら、後藤ひとりはそう思う。
 北極にペンギンはいない。
 誰も助けてくれなかった。
 立ち上がる元気すらなかった。
(元からないのか)
 そして目を閉じる。

「ひとりちゃん、ひとりちゃん」
 目を覚ますと、暖かな布団の中で後藤ひとりは人間になっていた。
 毛布には少し暑い朝の太陽が、自分の体を照らしている。
 母親の優しい声を聞いて、汗ばんだ体の輪郭が意識を縁取る。
 涙が頬を伝って、彼女は口を開いた。
「北極にペンギンはいるんだ……」
「いないわよ?」
 母親はそういって、それから「早く起きないと遅刻するわよ」と言い残し、部屋を出ていった。
「いないのか」
 体を起こしながら、部屋の隅でいつも通りに笑っている黒いギターを見つめる。
 早くバイト行けよ。そう笑っている気がする。
「いないかも……」
 後藤ひとりの軸はブレる。
 着替えて、顔を洗い、朝食を食べる。
 北極にペンギンはいない。
 ギターケースを背負って家を出る。
 北極にペンギンはいない。
 後藤ひとりは繰り返した。


作者HP / 感想フォーム / お問い合わせ(メール)