Sayonara VoyagE

Use me like an oar and get yourself to shore

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誕生日は、二人きりで一緒に迎えましょう。

二人出会ってからずっと続けてきたその愛すべき大切な約束は、私達が20歳になっても、出会ったころの幼い自分たちが夢見たずっとずっと未来に見える自分たちの理想の中にいた大人に近づいた今でも、まだ続いていた。


『大切な日だから、一緒にいたいんです』
そう、私の中にあった、なけなし の勇気を使い果たして告げたことから始まった、二人で一緒に迎える成長の証の記念日についての、ちょっと自分にとってはロマンチックすぎるような約束だった。

20歳になる今年だってそれは当然のように約束されて。0時ちょうどに一緒にお酒を開けましょうね、なんてちょっとふざけたような私の言葉を、紗枝ちゃんはいつものようなあの柔らかい笑顔で「ええですなぁ」って、そう言ってくれた。5年前からずっと続けているアイドルのお仕事だって、1ヶ月も前からプロデューサーさんに頼み込んで。いつもより少しだけ早めに終われるようにしてもらっていたから。
何人からかのちょっと早い「おめでとう」への返事もそこそこに、私と紗枝と、二人で暮らす部屋に帰る道を急いだ。
鼻歌まじりで帰った私に、いつものように優しい「おかえりなさい」をくれたときには、紗枝ちゃんはもうすでに料理を8割ぐらい作り終えていた。急いで着替えて、紗枝ちゃんの料理の手伝いをして。と言っても、もうお皿を並べることぐらいしかすることはなかったのだけど。


そうして久しぶりに一緒に頂きますの挨拶をして、一緒のご飯を食べながら、今まで積もった年月の話をした。眠くなったらすぐに寝れるように、とお風呂にも一人ずつ入って、どちらも髪の毛を乾かし終わったころには、すでに短針と長針がてっぺんで重なる少し前になっていて。
お酒をはじめて飲むときは、このグラスで、二人で一緒に乾杯しましょう。そう、二人で決めてちょっと見栄を張って買ったけれど、ずっと出番のなかった、淡い色のグラスを取り出して。今日帰る前に、アイドルの先輩たちから貰った、なんだかとてもかっこいい海外のお酒の瓶を用意して。二人でテーブルに座って、私とあなたが一緒に2歳を重ねる時を待った。


まずは「おめでとう」。そうして「これからもよろしくおねがいします」。なんだかそれすらもぎこちなかった、二人での初めての誕生日とは違う。積み重ねた年月が変えてしまった。
「かんぱい」の言葉で一緒に口に含んだそのお酒は、なんだかジュースを飲んでいるような、そんな感じしかしなかった。
だけどほのかに苦味が混じっているような気がして、自分はおとなになったのかなぁ、なんて。
はじめてのアルコールに、自分が成長した証のようで、なんだか嬉しくなっていたから、気付かなかったのだ。


「紗枝ちゃん、紗枝ちゃん、大丈夫ですか」
「どもないどす…」
「完全に酔っているじゃないですか…」

意外と、なんて言ったら怒られるような気もするけれど、見た目とはちょっと違ってしたたかな紗枝ちゃんは、しかしアルコールにたいしては大分 弱いようだった。二人で一緒に誕生日を迎えてから、まだ短針が回り切る半分も行っていないというのに、もうすでに紗枝ちゃんの頬は普段の優しい色よりずっと濃い紅色に染まっていた。しゃべり方もいつもよりゆっくりになっていて、いつもよりずっとふわふわ、ふわふわした声で、なんだか蕩けてしまいそうだった。本当のことをいうと、このふわふわした声をいつまでも聞いていたかった。出来ることなら録音をしたいぐらいだけれど、生で聞かなければ意味が無い。って、そうではなくて。コレ以上酔って何かあって、一番初めのお酒への思い出が嫌なものになってしまわないように、また二人で楽しくお酒が飲めるように、私はそっと紗枝ちゃんを諭してみようと試みたのだけれど。

「別にまだ20歳は始まったばかりですし、いつでもお酒は飲めますよ。今日は疲れたでしょうし、もう寝ましょう?」
「いーやーどーすー」
「悪酔いというやつですね…」

しかし、いつもより上機嫌な紗枝ちゃんは、フワフワした声で、まるで小さなこどものように駄々をこねた。可愛いけれど、確かに可愛いけれど!だからといって、このまま紗枝ちゃんをほうっておくわけにはいかなかった。どうやって寝かせつけようかと私自身若干アルコールの回ってきた、動かない頭を働かせていると、突然紗枝ちゃんは私の目の前で立ち上がった。そうしてそのまま、どこかぼうっとした表情で、私たちが普段並んで座って、話をしたり、テレビを見たりするためのソファーに向かって、そっとそのまま座り込んだ。そうして、そのまま空を見つめるようだった。そのままソファーで寝てしまっては、翌日の仕事に影響が出かねない。そう思った私は、同じようにグラスを置いて、紗枝ちゃんの目の前に立った。

「紗枝ちゃん、もう寝ましょう?」

そう言った私の声は届かなかったのか、それとも届いてはいるのか。私が判断しかねていると、そっと紗枝ちゃんは自分の座ったソファーの隣を、ぽんぽん、と手で叩いた。どうやら私に座れ、という意味らしい。その意味を推し量りながら、そっと隣に座る。いつものように優しい匂いがする、紗枝ちゃんの頬は暗くてもわかるほど、紅く染まっていた。そうして私が紗枝ちゃんに言うべき言葉を探していると、ずっと黙っていた紗枝ちゃんが、しずかに身体を私の方へむけた。

私は紗枝ちゃんと向い合って、そうして吸い込まれるように目を見つめた。アルコールによってどこか夢見がちだった脳みそが、一気に現実へと引き戻された。いつもと違うそれは、今まで見たこともない悲しみと、今まで見たこともない決意が見えて。釘付けになっていた私は、そのまま紗枝ちゃんに倒されてしまったのだ。


わたしがこうやって一から今日あったことを思い出した数秒の間に、この窮地が少しでも良くなるわけもなかった。それどころか、私が意識をそらしたことに気づいて、私の腕を握りしめる紗枝ちゃんの腕が、強く強く、私をソファーに縛り付けた。

綺麗な灰色の瞳が、五年も前から何度も見つめてきたそれが、私を強く捉えて離さなかった。いつものように、おどけた風に声をかけようとして、言葉にならなかったのは、私の思いか、それとも。
ずっと近くにいたから、ずっと一緒に過ごしていて、誰よりもわかっていることがある。小早川紗枝は「可愛らしい女の子」というだけの人ではない。紗枝ちゃんは私なんかよりずっと強くて、芯が通っていて。本当の意味で美しい人だった。でもだからこそ、私はこんなに決意を秘めた、悲しそうな目をする恋人を見たのははじめてで。どうすればいいのか、今までならわかっていたものが、とたんにわからなくなってしまったのだ。

私が何も言えないでいる間に、紗枝ちゃんも同じように黙って私を見つめていた。答えが見つからない。ずっとずっと二人で過ごしてきて、互いのことなんてわかりきっていたはずなのに、私は紗枝ちゃんが、何を望んでいるのか、なにもわからなかった。

ふっと紗枝ちゃんの目が閉じられた。そうして紗枝ちゃんの顔が私に近づいてきて、私は次に何がおこるのか、わかってしまった。慌てて私は口を抑えて、次の行動を回避しようとするけれど、腕を強く強く握られているから、思うように動かすことが出来なかった。思わず私は、顔をそむけて目を強く強く瞑った。
暗闇の中で時が過ぎる。何分経ったのか?もう何日もたったようにも、まだほんの一瞬でしかないようにも思えた。

あまりにも何も起きおなかった。だから私は、恐る恐る目を開けて。紗枝ちゃんの表情に心臓をギュッと握りつぶされたような、そんな気がした。
私の愛おしい恋人が、涙を浮かべて、私を見つめていた。

「さえちゃ…」
「ゆかりはんは」

私が思わず振り絞るようにして出した声は、紗枝ちゃんの声で遮られた。声は掠れて、嗚咽混じりでも、はっきりと届いてしまう。

「ゆかりはんは、うちのこと、好きやないん?」

そう私に言った紗枝ちゃんはとても、とても苦しそうだった。まるで何かにうなされているような、ずっとずっと苦しんできたような、そんな声を、目をしていて。

「可愛いは言うてくれはるのに、好きは、言ってくれやらん」

紗枝ちゃんの声はいつもよりずっと、小さかったはずなのに、確かに私の脳内に届いて、何度も何度も、私を責めるように、響く。

「なにも、してくれへんし、5年も、経ったのに」

涙がこぼれて、私の胸元を濡らしていった。その冷たさが、私を強く強く現実へと突き落とす。私の愛おしい人は、涙を流してる。どうしようもないぐらい、確かなことだった。

「なあ、もしかしてウチ、ずっと勘違いしてたんかなぁ」

そう言った紗枝ちゃんは、確かに泣いていた。もしかしたらずっと前から、彼女を傷つけていたのかもしれない。
5年目になる誕生日で、本当だったらそこには笑っている紗枝ちゃんがいたはずだったのに、そのために私はいたはずなのに。彼女は泣いている。理由は、わかっていた。


そうして紗枝ちゃんは、よりいっそう私の服の胸元を、大きな涙で濡らしていった。泣き声はあげていなかったけれど、こぼれてくる涙のつぶは、苦しみを表していて。気持ちについて、何もわかっていなかった。まさか紗枝ちゃんがそんなことを望んでいるなんて。私は、わからなかった。


『本当にそうだろうか?』

ずっと、わかっていたはずだ。世間的に恋人と言われる関係になっても、手を握ることしかしないこの関係を、このまま続けられると私は本気で信じていたのかと、私の内側から問う声がする。本当はずっとずっと気づいていた。求めら
れているということに。それだけではない、ずっと求めていたということに。わかっていたけれど、何もしなかった。しようとしなかったのだ。ずっと、決めていたから。


「私が、」

声はかすれて、それでも伝えなければいけない。

「可愛いとしか言わないのは、それ以上を求めてしまいそうだからで。」

『好き』と一度でも、口にしてしまえば、きっとそれは呪いのように私と紗枝ちゃんを縛り付けてしまう。怖かったのだ、なによりも。

「それに、あなたが優しすぎて、どうすればいいのかわからなくて、まるで触ってしまったら、壊れてしまいそうで」

はじめてあなたを見た時に、まるで花のようだと思ったことを、今でも昨日のことのように思い出すことがある。それから時間をかけて、気持ちが通じあって、そうしてあなたが私の手の届くところまで、私が手を握れるところまで来て。そのまま、不器用な私が触ってしまったら、あなたという花が、散ってしまうような。そんな未来が見えた気がして、私はどうすればいいのか途端にわからなくなってしまったのだ。

そうして、私のせいで、花を散らしてしまうくらいなら、いっそそっと私の、大切な大切なものとして宝箱に閉まっておこうと、そう思ったのだ。私の持て余した欲望で、愛おしい、綺麗なあなたが傷ついてしまわないように。私があなたを傷つけないようにと、心の深く深く、理性という名の鍵をかけた箱に閉じ込めてしまおうと、そう考えた。そうすれば、きっと、あなたは美しい花のままで、傷ついてしまうことははないだろうと。
そう信じていたのに、私の大切な人は、涙で私の胸元を、濡らしていて。私の望んだものとは、あまりにも違う現在がある。

どうすればよかったのだろうかと、もうパンクして、回らないはずの頭は、それでも必死に考えている。傷つけてしまうことを恐れて、最善だと信じた選択によって、愛しい人に涙を流させてしまうぐらいなら、もう最初の最初から、自分の手が紗枝ちゃんに届いてしまう場所を、選ばなければよかったのだろうか。そうすれば、紗枝ちゃんはこんな不甲斐ない私の為に、泣くこともなかったのだろうか。選び取ることのなかった「もし」を考えても、そんな思考は何の意味も持ってくれないことはわかっているけれど。そうすれば、きっと、紗枝ちゃんは今だって、笑っていただろう。

「バカ」

ずっと私の言葉から、沈黙を貫いていた紗枝ちゃんが、短く声をだした。ああ、馬鹿と言われて当然だろう、と、ただそう思った。今まで大切に守ってきたつもりのものを、全て失ってしまうぐらい償っても、わたしが許されるとは思わなかった。私に来る罰を、ただ待つしかなかった。

そうして固まった私の体に、ふっと、柔らかい匂いが近づいてきて、何があったのかわからなかった。さっきまでソファにべっとりとくっついていた背中に、自分の体温で暖かくなった布地よりもずっと優しく、ずっと暖かいものが触れて。私は紗枝ちゃんに、抱きしめられていることに気づいた。私の左肩に紗枝ちゃんの息遣いがわかって。触れていなくてもわかる、優しさが全身に伝わった。あまりにも想像した罰とかけ離れていたから、私は混乱してしまった。

「わかれへんなら、一緒に考えれば、ええんどす」

優しい言葉が、私の耳に入って。柔らかい彼女の手が、私の背中を優しく、優しく叩いて。そのあまりに優しさに、愛おしさに、目頭がすこし熱くなるのを感じる。紗枝ちゃんの優しさに、私ごと全て包まれているようで、なんだかひどく、泣きそうになった。ずっとずっと欲しかったもの、背を向けていた感情を、優しく肯定してくれる紗枝ちゃんが、あまりにも、美しくて愛おしかった。

「それに、うちは、そないヤワではあらへんさかいに、」

いたくても、かまわへんよ、との声が聞こえた。私はやっと許されたような、そんな気がして、強く強く、紗枝ちゃんの体を引き寄せて、抱きしめた。涙がこぼれて、それさえも愛おしかった。


$


「折角の誕生日なのに、泣かせてしまいました」


抱きしめ終わって、ソファーの上で向かい合う。紗枝ちゃんの顔には確かに涙の跡があって、目もなんだか赤い。私もきっとそうなっているのだろうと思うけれど、それさえも、わかりあえたことの証のようだ。
私の言葉を聞いた紗枝ちゃんは、ちょっと涙を手で拭うと、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。

「それ以上のものを、もらえたから、ええんどす」

そう微笑む紗枝ちゃんは、天使みたいに綺麗だった。天使なんて、見たことがないけれど。きっと紗枝ちゃんのような人のことを、天使というのだろう。
それに、とちょっといたずらを思いついた小さな子のような声をして、紗枝ちゃんは続けた。

「これから、もっとくれはるんやろ?」

そう言って、ウィンクをしようとするのだけれど、それ、出来ていませんよね。とても可愛いのでいいのですが。いいのですが。
よく見るとちょっと頬が紅くなっている。それは、涙の跡だけではないことは確かで。

「紗枝ちゃんは、本当可愛いですね」

気づいたら、声に出していた。アルコールが効いているのから、いつもより饒舌になってしまっているかもしれないけれど、今はそんなことはどうでもいい。触れてもよいと、強く抱きしめてもよいと、そう許されたのだから。

「可愛くて、食べちゃいたいぐらいです」

そう言って紗枝ちゃんの頬をそっと撫でる。涙ですこししっとりしとした肌は、それでも熱かった。

「じゃあ、食べて」

彼女の言葉の続きは聞かなかった。
そっと紗枝ちゃんにくちづけをすると、涙とお酒の味がして、やっぱりなんだか優しかった。


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