Sayonara VoyagE

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イート・イン・ワンダーランド

 ずっと狙っていました。それはもう、虎視眈々と。
 という話を、奏ちゃんに前したら「梨々花はどう考えても虎にはなれないでしょ」と言われたので、蛇視眈々とぐらいにしておきます。それでも奏ちゃんは納得行ってなかったけど。たぬきぐらいでしょとか言ってたし。たぬきはそもそも肉食動物じゃないと思うんですけどねぇ。と思ったら、雑食らしいです。あのほんわかとした目で睨みつけられても、あまり怖くないかもしれませんねぇ。たぬきさんはどんな目で、その獲物を見つめるのでしょうか。
 私の獲物は、毎朝コンビニを通り過ぎる途中にあります。ただ通り過ぎるだけだと見つからないけれど、ちゃんと横道を覗けばそこにあって。焼きたてのパンの、いいにおいをさせています。柔らかな朝の空気に混ざったそれは、私の元気の1%ぐらいを作ってくれている気がします。まるでおとぎ話のようなパンの看板が、夢見心地にさせているのかもしれません。毎朝少しだけ遠回りして、丁寧に並べれているパンを見ることができたら、もっともっと元気になれるだろうなって、いつもそう思っています。
 でも、私はそのパン屋さん、入ったことがありません。私の朝が早いから。まだまだお店は準備中で、私は暗い店内の中しか見たことがありません。部活が終わる頃には閉まっていて、それにいつも友達と帰るから、あんまり遠回りすることもなくて。いつも匂いだけなのでした。
 だから、狙っていたわけです、いつか、いつか。あのお店に行って、ほしいパンを全部――とは行かないけど、そこはお財布と相談しながら。お家に買って帰ろうって。
 
 そうやって狙っていたお店のことを、ふと思い出したのは、午後四時の風が身を切るようになってきたころのことでした。
 教室には誰もいませんでした。ぼんやりしていたようです。もう学校に出たか、部活に出ていったか。空っぽの教室はずっと寂しいのは、あのころの先輩の姿を思い出すからなのでしょうか。
 この夏を超えて、覚えたことはたくさんあります。わかったこともたくさんあります。悲しかったことも、悔しかったことも、嬉しかったことも。でも少しずつ、忘れてしまうこともあって。あの魔法のように見えたパン屋さんは、その一つだったのでしょう。ふと寂しくなってしまうのは、吹奏楽部の部屋が広くなったこともあるでしょう。この季節は、どうしてもそういう季節なんだって、誰かが言っていたのを思い出します。
 今日の部活は早めに終わり。なんでも、音楽室に業者さんの点検が入るのだとか。いつもより早い下校時間に、時間を持て余していたときに思い出したあの看板。これはきっと、偶然ではないはず。
 今日は、あの店に行ってみよう。
 そう決めたら、すぐ行動に移します。いつもよりずっと早いと言っても、それでももう夕暮れ時です。早く行かないと閉まっちゃうかも。決断した梨々花の足は早いのです、と呟きながら昇降口を抜けて、お店へ向かいます。
 見慣れた坂をいつもより少し急ぎ目で下って、少し長い駅までの道をちょっと外れて、毎朝通る道を曲がって。スマートフォンで時間を確認したら、まだやってるはずの時間。そう思っていると、お店の前に懐かしい影が。
「みぞ先輩」
 声をかけると、先輩はゆっくりとこちらを振り向きました。おそらくさっきまで目線の先にあったのは、並べられたパン達。もう遅い時間だけど、まだちゃんと残っています。良かった。
「梨々花ちゃん」
「こんにちは」
「こんにちは」
 久しぶりだと、なんだかこういう挨拶も緊張してしまいます。なんででしょうね。おかしくなってていると、先輩が小さく、上品に。おかしそうに笑うから、私も一緒に笑ってしまいました。
 先輩は、少しずつ良く笑うようになりました。特別じゃなくても。そうやって先輩が見せる笑顔の理由の1%が私だったらいいなって、そう思います。
「部活は?」
「今日はお休みです。先輩は?」
「いつも、練習に使ってる教室が、今日は使えなくて」
「なるほどー」
「うん」
「このお店、知ってたんですか?」
「看板だけ、見たことはあったんだけど」
「そうなんですか」
 私がそういうと、みぞ先輩は私の返事に満足したようにもう一度目線をパンに向けました。私も一緒になってパン屋の中を覗きます。まだ晩ごはんの買い物には少し早い時間。店員さんがあくびを手でかくしながら噛み殺したのが見えました。
 初めて見る店内は、思ったよりずっと広くて。パンの並べられたスペースの横には、いくつかのテーブルが置いてあります。レジの方を見ると、上には簡単な飲み物のメニューが。差し込む夕日のせいで、とっても寂しく見えました。ここにはは、誰かがいてあげなきゃ。
「イートインがあるんですねぇ」
「うん」
「知らなかったですねぇ」
「うん」
 どうやら初めて見るのは、私だけじゃなかったようで。みぞ先輩も知らなかったようでした。よく考えてみれば、当たり前で。
 私の朝が早いのは、先輩の真似をしているから。私よりもっと朝が早かった先輩が、このお店に入ったことがないのは、当然のことでしょう。でも、それだけのことに、なんだか嬉しくなります。
 その嬉しさに、少し勇気をもらって。
「みぞ先輩、寄り道していきませんか?」
 いつか伝えようと見つめていた言葉は、ちゃんと届いたようでした。


「え、みぞ先輩コーヒー飲むんですか?」
「なんか、変?」
「なんか、意外だなぁって」
「そう、かな」
「そうですよぉ」
「梨々花ちゃんは、何にしたの?」
「私はですねー、ココアと、エッグトーストです!」
「……卵、好きなんだね」


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