砂浜へと向う彼女のスニーカーを見ても、お揃いだと思えないのはなぜだろう。
少しでも日が陰ると、私はそんな事ばかり考えてしまう。調べたときは顔をしかめていたはずの最高気温も、海辺に持ち込んでしまえばなんてことはない。人の数がまばらになれば、距離も風も同じように居心地を良くしていく。
少し季節を外した夕方の海は、僅かな声と波の音だけ。わざとらしく並んだ木々の隙間が、私の心に薄く風を通していく。
それはすこし心細くて、それでいて心地よい。こういうとき、私は恋を楽しんでいるのだ、と、ずるい自分を少しだけ誇らしく思う。
「なかなかとけないね」
私の感情を知って、愛はそういって笑う。それだけで、私の恋は迷宮へと潜り込んでいく。
似た者同士だと言われて、それがきっかけだった。それまでは、互いにいるだけだと思っていた。十五のときからの付き合いだというのに、相手の輪郭をちゃんと人の形として認識するのには長すぎる年月が経っていた。ありふれた話のように、その隙間を埋めるかのように距離を近づけたら、勢い余って恋に落ちてしまった。
そして、これもありふれた話なのだけど、私だけが落ちて、彼女は上から笑っていた。私の心の温度に気づいて、背中を押したのも彼女だというのに、彼女は笑って眺めてるのだった。そうして彼女は私の名前をゆっくりと呼ぶ。
「ねえ、楓、そんなところに落ちてどうしたの?」
愛が意地悪だということを知ったのも、それからのことだった。
愛と初めて会った日のことは覚えていない。まだ幼い頃の自分が、漫然と友達を作っていた頃に、どこかですれ違うかのように出会っていたのだろう。狭い世界では自分のことを見つめるのに精一杯で、自分の中から現れる恋はどうにも頼りない形のものばかりだった。
街に出て、髪を伸ばして、ミュールを選ぶと、少しずつ世界が顔を開き出した。初めて外へと視線を向けたとき、私の視線を止めたのが愛だった。どう似ていると言われたのかは今でも思い出せる。「遠慮しい」。無遠慮なその言葉が開かせた心の奥について、私は知らなくても良かったのかもしれないと思う事がある。
海が見たいといった愛の言葉について歩き出したというのに、彼女は海岸に二歩歩きだして、スニーカーが汚れるといって引き上げた。それからは知らない街を知らない二人で歩いている。子どもたちが遊ぶ公園を横目に、帰宅する少女たちの前で曲がる。陽は少しずつ落ちて、冷えた風もあるというのに、容赦ない熱と恋が私を温めている。汗を拭う私に彼女の歩幅が小さくなって、私はそういうときに、彼女と私の距離を理解して謝りたいような気持ちになるのだ。
「アイスでも食べる?」
そういう彼女の視線の先には、さっきまで揺らいでいた波が遠くに見える。踏切の向こうで待つ子どもたちは、私達を不思議そうに眺めていた子らだ。
「コンビニでもあればいいんだけど」
彼女の言葉に少し私が待つ間に、踏切が上がる。また少しずつ青くなっていく海を通り過ぎながら、角を曲がる。見慣れたネオンと看板に近づいていく間にも、これは一体なんの時間なのだろうということをまた考えている。
愛にはもう告白をした。まだ夏になる前のことだ。
「まだまだ」
そういって彼女は首を振った。その次の日に、ご褒美、といいいながら映画に誘ってくれた。私は当然一喜一憂したけれど、そこが波の始まりであると知らなかった。そこからは感情に流されてばかりの私が、こうして海に来たのは当然の結末なのかもしれない。
私の心のなかにはいつも、少し遠くで揺れる波を笑う私がいる。その私は、勇気のなかった頃の私に似ている。愚かでなかった私にも似ている。彼らの姿を見るたびに湧き上がる「考えなければ」という気持ちは、些細なことで流されてしまう。例えばお揃いで買ったスニーカーをきれいにしたり、送ってしまった言葉の意味をもう一度考えたりしているときに。
まだ十代なのに、青春にももう酔えないから、彼女の言葉の意味には上手く踏み込めない。将来のことだって考えられるのに、何が自分に足りないのかは何も掴むことができない。
「溶けてもなくならないから」
そういって、彼女は昔からカップに入ったアイスクリームばかり選んでいる。
ずいぶんと時間をかけて選んだ安いアイスを買ってコンビニを出ると、もうゆっくりと海岸線に夕日は沈んでいた。熱気に顔をしかめ、横断歩道を渡りながら、彼女との距離を図り直す。
海沿いのベンチに座る彼女の足を心配している自分に気付く。大丈夫だと思いながら、どんな言葉をかけるかを迷う。こういう気遣いは彼女の得意なもので、私の心配はなんだかもっと幼くて、恥ずかしくなるから上手に渡せない。彼女のことが一番心配なのに、と少し自嘲する。
燃え上がるような恋ではない代わりに、少しだけ世界は遠ざかった。でも、愛はもう少しだけ遠くから世界を見ているような気がする。どうやってそれに追いつけるかはわからない。自分の買ったシャーベットを選ぶ彼女の横顔は少女そのものなのに、どのようにしてあの世界を手に入れたのだろうか。
私がぼんやりと見つめていると、愛は視線に気づいて笑った。
「楓が遠慮するところばかり見てきたから、こうやって近づいてくるところを見るのが新鮮」
愛の言葉はひやりとする。その冷たさに怯えている。それなのに、通り過ぎていくのも、思い出すこともやめられない。悪い癖だ。そのくせ甘いだけではないのが憎たらしい。
「そんなに見てたの?」
「うん。だからもうとけちゃった」
いつの間にか、そういう時間を過ごしていたのか、と思う。同じような場所にいて、同じようなことを考えて日々を過ごしていたつもりだったのに、気がつけばずいぶんと彼女は遠い目をして世界を見つめている。その距離に追いつくかのように私の恋は深くなっていく。
それでもいつまでもたどり着くことのない彼女の視線に追いつきたくて、私はもう少しだけ背伸びをする。いつもより少しだけ近くにあった瞳を覗いてその色を見ると、愛は少しだけ驚いたような顔をして、そうして笑った。
「はやくとけてきてね」